タイで働くお先真っ暗コミュ障の日々

タイで現地採用で働くけど、なんかぜんぜん将来見えないけどあんまり苦労したくないなって思っている人のブログ

幸せな生活を妄想してみる。

現在タイでタイ人の彼氏と小さな安いアパートで二人暮らしをし、

安月給で社内通訳翻訳をやっている私ですが、

そのうち日本に帰ってフリーランスになりたいって思っています。

それには、まず結婚して

日本に帰ったところで彼が結婚ビザを取得出来るのかどうかというのが結構一番の問題で、それさえ取れれば、私たちの質素倹約な暮らしを持ってすればどうとでもなると思っている訳ですが・・

たまに不安により鬱を発症させると、

最高に理想の生活を思い描きます。

YouTubeなんかでよく、一日のルーティーンとかのせていて、

いいなぁ・・・って憧れるんですが、それを妄想でやります。ここでは、私の、全然実現していない妄想の世界を紹介します。あたかも現実かのように。

 

ちょっと田舎に住んでいてリフォームした古民家に住んでいる。

庭つき。わんさんと夫と私で3人くらし。

 

朝起きると、歯磨きや洗顔を済ませて、オレンジのヤカンでお湯を沸かす。

お湯が沸いたらティーバックをお気に入りのマグカップに入れてお湯を注ぎ

ゆっくりと朝の庭を眺めながら紅茶を飲む。

それからわんさんの催促をうけてお散歩に出る。

20分ほど散歩して帰ってきたら、もう一度紅茶を注ぎ、仕事にとりかかる。朝8時30分。

朝ごはんは食べない。ここ数十年ずっとそうだ。

判断力が高まるので、立ったまま仕事をする。疲れるとたまに座る。

仕事はもちろんタイ語の翻訳だ。

私にとって朝が一番頭が冴えている時間なので、この時間は一番大切。

9時頃になると夫が起きてくる。彼は朝は弱い。のんびり起きて歯磨きをすませ、

水を飲んで、倉庫で仕事にとりかかる。

夫はギターをハンドメイドして売っている。自身のブランドも立ち上げ、軌道に乗り始めた。忙しいが、

夫はどれだけこの仕事をしてても飽きないのだそうだ。

小さな休憩を入れつつ、12時まで仕事をすると、かなり仕事は進む。

お昼ごはんはプロテインと庭で採れた野菜のサラダとグラノーラという不思議な組み合わせ。

夫にはご飯とみそ汁と作り置きのお惣菜を添えて。

食後はのんびりお喋りしたり、日向で30分だけお昼寝をしたりする。

13時30分頃にはお互い自分の仕事につく。私の場合、16時頃に一旦休憩を入れて、

夜ご飯や作り置きの料理を作ったり、家事を行うか、わんさんを散歩に連れていく。

夜ご飯は日によって夫が作ったり、私が作ったり、特に決まっていない。

二人ともめんどくさければ、レトルトを使ったりもするし、簡単なものだけだったり

お菓子だけだったりすることだってある。

18時頃には二人で夜ご飯を食べ、

夜ご飯を食べた後、お皿を二人で洗い、19時から少しだけ仕事をして、20時頃、本日は終了となる。

 

その後は、お風呂に入って、二人で映画を見たり、ゲームをしたり、わんさんと遊ぶ。

そして、12時頃には、私は眠りについてしまう。

 

 

以上、ただの妄想でした。

内容は随時更新する予定。

会社でパニックになった話。

2日前会社でパニックになりました。

ここのところ仕事が忙しく

緊急の仕事がガンガン入ってきていて

それでも、風呂敷残業したり、休み時間を潰したりして何とか

依頼した人の期待にこたえ続けてきました。

人に頼ってもらえる、ということが嬉しくて、彼らの助けになりたかった。

常に全力で、出来るだけ完璧に、そして出来るだけ彼らの期待する時間までに仕事をこなしてきました。

しかし、水曜日

友人が差し入れてくれたタピオカミルクティーを飲んだ後

頭がくらくらし始め、その後猛烈な眠気に襲われました。

糖質を一気に摂取しすぎて血糖値が乱高下したのかな、と考えていました。(実際そうかもしれない)

その後はタピオカミルクティーのパンチが強すぎて

お昼になってもお腹が空かなかったので、お昼を食べずに日本語教室に突入。

そして仕事をなんとかやり15時にやっとお昼ご飯を食べました。

その後呼吸が荒くなりはじめ、頭がくらくらし、熱もあるような気がするし

 

まさかコロナでは・・・

と思いましたが、もし体温を測って熱が37.5度以上だった場合、即病院送りとなるし、やだなーと思っていたら終業時間になりました。

 

家に帰っても歩く間もふらふらふらふら。

一応仕事を家でこなすために会社PCを家に持ち帰ったものの、それどころじゃなく、

依頼主には「明日一番でやります」とだけラインを送り、

その日は泥のように眠りました。

 

次の日の朝、なんとか体調は回復したものの、会社にはマジで行きたくない。

体が重い。

それでも、あの仕事とあの仕事、片づけなきゃ...

それさえ片づけたら、、という気持ちで会社に何とかたどり着き、

メールボックスを開けたら、新しい急ぎの依頼が追加で2件。

 

そこで、パニックが起こりました。

たまに家でもあるけれど、会社では起こしたことなかったのに。

挙動不審になり

どうしよう、どうしよう、と頭の回転が普段の100倍くらいの遅さになり

分からない。

どうしたらいい。

やりたくない。

もうやだ。

でも逃げられない。

早く始めろ、早く、早く、

と思いながらも全く手をつけることが出来ずに30分が経過し、

 

やっと、このままでは何も進まない。

上司に相談しよう。

上司に迷惑がかかるかもしれない。

こんなこと言われても困るかもしれない。

 

そうも思ったけど、それ以外に何も前に進む手立てが浮かばなかったため、

上司に会議室に来てもらった。

 

あの、最近すごく忙しくて・・

でも、これが終わったら楽になるかも、

と思いながら続けてきても楽にならなくて

今日も休みたかったんですけど

でも、これだけ終わらせたら・・と思いながら会社まで来たら

急ぎの仕事があと2件入っていたので

それでパニックに、、なって、、何も手がつけられなくなりました、、

 

とボロボロと泣きながら説明した。

 

自分でも情けないのは分かる。

でもこういう人間だ。どうしよもない。ほんとに。

 

上司は、

忙しいのは知っていた。めちゃくちゃ仕事が回って来てたの知ってたのに、

ほったらかしてごめん。ここまで追いつめてごめん、とハンカチを渡してくれた。

 

よし。今日ももう帰ろう。明日も、午後に通訳があるだけだから、辛かったら午前中は休んで良い。辛かったら午後も休んで良い。

 

と言ってくれた。

 

私は家に帰った。

 

最初は、

本当にこれで良かったのか・・と思った。

他の人だったらきっとこなせたはずだ。。

私が甘すぎるんだ。

と責めるのを辞められなかった。

 

それでも、帰ったからには今自分がやるべきことは

思いっきり休む事だ。

一生懸命頭を切り替えて

とにかく休んだ。

 

おろおろしながら

必死で心を落ち着かせて

それで

見えてきたのは

 

私が一度に出来ることは一つしかない。

じっと集中して、翻訳したり、仕事をこなすことしかない。

いくら焦っても、一度に二つのことが出来るようにはならない。

いくら全てが緊急でも、それは同じことだ。

 

そんな当たり前の事が見えてなかった。

 

疲れると、それが見えなくなる。

 

一日休んで、それが見えた。

次の日、金曜日。

朝、まだ仕事が怖かった。

本当はもぅ会社に行けたが、

仕事が怖かったので、あと半日だけ休みをもらった。

 

少し休んだら、

今回の問題に対する対策が分かった。

今まではタスク管理が出来てなかった。曖昧だった。

あれもこれも緊急。

だからパニックになったり、家で無理に仕事をこなしたりして、疲れて、

自分を追い詰める。休む時間が無くなる。

 

だから、タスク管理をもっと徹底しようと考えた。

グーグルのスプレッドシートを使って、月曜日から金曜日までの就業時間中の表を作って、そこに、今抱えている仕事を組み込んでいった。

一つ一つの仕事をこなすために必要な時間を気持ち長めにして、

金曜日の15時から、2時間で、●●をこなす。

といった具合に、会議の予定、通訳の予定なども全部入れていった。

人事に確認することなど、細かい予定も全部入れた。

そして、ルールはこう。

もし、緊急の仕事が新たに入ってきたら、

他の仕事をちゃんと全部後ろ倒しにする。会議などの固定のものはそのままで、

空いてる時間の中で、同じ作業時間のまま、他のタスクはどんどん後ろ倒し。

想像していた以上にタスクの完了に時間がかかっている場合も、予定はどんどん後ろ倒しにしていく。

絶対に、他のタスクの締め切りを変えずに全部最初の予定通りきちんとこなそうとしない。

家で調節しようとしない。

もしも、後ろ倒しされた結果、タスク完了が遅くなってしまう場合は、上司にそのスプレッドシートを見せながら相談する。上司に、何を優先すべきか判断してもらう。

自分で全部ちゃんとやろうとしない。

 

そうすれば、今の時間は何に集中するべきなのかがすぐに分かり、他のタスクの事が不安になったり、頭にちらついて集中出来なくなったり不安に思うことはない。

 

金曜日、午後から出社し、無事通訳の仕事を行い、

その後溜まりに溜まったタスクに手を付け始めたが、

心穏やかに仕事が出来た。

長めの作業時間を設定しているため、それより少し早く終わると、心に余裕も生まれた。

 

この方法でしばらく様子をみてみる。

自己紹介

こんにちはしーちきんわんさんです。

略してしーさんにしますか?どうしよう。

 

タイの日系企業タイ語の通訳翻訳として働いています。

 

日本社会で生きるのが生きづらく、逃げて逃げてここまで来ました。

でも

日本に帰りたい。

外を自由に散歩出来る日本に帰りたい。

今は自由に外も散歩出来ない日々です。(暑くて)

 

タイ語の通訳っていうと

え、ハーフ?とか、大学でそういう学科だったの?と言われることが多いですが

そうではありませんです。

 

大学は経済学部

卒業時は就職氷河期最大の年。

苦しい就職活動を行い、(大した企業でもないくせに)倍率100倍を超えて

なんとか受かった会社はブラック企業

上司には、優しく優しく、タイムカードを切ってから残業する方法を教えてもらった。

学歴が同じでも女性というだけで給料は低い。

社長秘書見習いと言われていたけど

私みたいな重要性の低い若手は人手の足りない工場応援に何か月も何か月も行かされた。

朝6時集合、乗り合いして工場に行っても、工場でタイムカードを入力するため

出社は8時から。

そして毎日夜10時まで工場作業。

 

疲れていた。とても疲れていた。

 

それでも耐えていた。

当時の恋人や親は

辞めたら、と何度も言った。

 

少しずつ、辞めようかな、と思い始めた。

 

ラインで働くとき

周りの従業員は流行りのアイドルグループの話をしていた。

まいにち。

まいにちまいにち。

そして、ある日

 

このまま・・アイドルの話を朝から夜遅くまで聞き続ける生活をしたら、

思考がやられる・・・。

 

と感じて

 

会社に適当な嘘をつき辞めた。半年で辞めた。

 

その後、半年で貯めたお金でマックを買い、フリーランスのカメラマンになろうと思った。

が、一瞬で、いや、まず、お金がない。バイトしよう。

と思い、大手のカメラ屋さんでバイトした。

 

接客業はバイトでも色々と色々とやってきたが、

ここでもやっぱりしんどかった。

あと、覚える事が細々と、山ほどあり、全然覚えきれなかった。

 

そして、就職しよう、そう思った。

 

数か月でカメラ屋のバイトを辞め、

就職活動を始めた。

時はまだまだ就職氷河期

 

一軒目は「女性は朝30分早く出社してもらい、社内の掃除をしてもらいます」

と言っていて、わざと落ちた。

二軒目は、人事担当が、「会社は熱意!努力!根性!」的な感じだったので、筆記試験はわざと沢山間違えた。

三軒目でやっと、良いじゃんと思える会社だったので、愛想よくして受かった。

 

二度目の就職をし、仕事はバラバラの細かい仕事ではなく、一連の仕事だったので、

するすると覚え、上手くいくかに覚えたが、

後輩をこき使いたくてしょうがない先輩のターゲットになった。

私も、簡単に状況に甘んじるタイプでもないので、そこでひと悶着あった。

が、先輩は無事に落ち着き、手懐ける事が出来た。

しかしその後まもなく、お局さんにいじめられ始めた。

相手がもぅ60歳オーバーという事で歯向かいづらい。

立場は低いが、全員の先輩であるため、誰も文句を言えない。

隣の席から嫌味を言われ続けて時が流れた。

 

「私、なんでこんなところでこんな人にいじめられてるの耐えなきゃいけないの?

大学でも勉強頑張ったし、成績も良かったし、卒論もあんなに褒められたのに・・」

と、私はよく分からないことを昼休み考えていた。

会社の近所の駐車場でうずくまりながら。

 

その時に

突然雷に打たれたように思った。

「語学だ・・・語学。・・タイ語だ!」

 

その時はただ、脈絡も無く、直感的にそう思った。

 

きっと、潜在意識では、

専門知識を持てば、いつでも交換が効く今の立場より良くなるだろう、そういう意識が働いたんだと思う。

 

そこから、いじめられながら、タイ語を勉強する日々が始まった。

 

最初はなかなか上手くいかず、2週間まるっとサボるときもざらにあった。

それでも少しずつやっていった。

タイ語検定5級に受かり、4級に受かり、私はタイ留学のため退職した。

 

そこから半年間タイに留学し、帰国後3級と準2級に同時に受かった。

 

そして、日本でタイ語通訳のアルバイトとネットカフェのアルバイトの掛け持ちを経て

タイに現地採用で就職した。

 

そんな、逃げの歴史だ。

 

そんな私は自分に自信が無い。

多分、誰かに「ポストは赤いっていうのは、お前だけの思い込みだ」

と強く言われたら、そうなのかな、と思ってしまう気がする。

そのくらい自分の何もかもに自信が無い。

社会も苦手だ。

人との会話が苦手だ。

友達と遊びに行くのも苦痛だ。

 

だから、次はフリーランスになりたいと思っていて、

そのために今も日々タイ語の勉強に勤しんでいる。

 

 

感情を強制する形式美について

年末の評価面接で、

「最近朝机に突っ伏していることがあるけれど、他の人が心配するから、朝はシャキッとするように。昼は昼寝してもらっていいけど」

と言われることがあった。

 

驚いた。

 

また、忘年会では若いセールスマンが社長に

「疲れた様子で会社に来てることがあったよね。あれは良くないと思うなぁ。

疲れた様子で会社に来るというのは」

と言っていた。

 

驚いた。

 

会社に来るだけでも偉いのに、

その業務とは関係ない立ち振る舞いまで強制されるとは。

 

こんなことが立て続けにあったものだから、

私は近頃何日も色んな思いを巡らせているのである。

 

感情的な部分では

「こんなに体が辛いのに、そんなことを言って追い打ちをかけてくるなんて酷い。

会社に頑張って来ているだけで褒めて欲しいところなのに。」

というのが私の本心だ。

 

実際に、会社に毎日出社する、ということは私にとって本当に大変なことである。

肉体的にも精神的にも会社で働くということに私の体は合っていないようなのだ。

(だったらフリーランスにでもなれば良いだろう、という批判はちょっと置いといて欲しい。それは分かっている。)

それでもここ数年は飛躍的に成長し、

年間で数回の病欠に留まっている。

 

しかし、当然ながら、その大変さはみな同じでは無いわけだ。

個人差はあるし、大きい。

その人たちにも辛い日はあるだろうがその振れ幅や頻度は恐らく違うだろう。

 

そういった比較的体が丈夫な人たちには

私たちのような体の弱い人間が疲れた様子でいると

 

同情を引いている

だとか

オーバーな・・

だとか

そういう目で見られているのかもしれない。

 

詰まるところ、体の強い人には体の弱い人の気持ちは、かなり意識してくれない限り

分からないのだ。そう考えると、自分の中に落としどころを見つけられる。

 

そういう事って多分私自身も気づいていないだけで色んなところで起こっていて、

 

例えば電車の優先席に座る若者を非難する人は

その若者がどれだけ体(もしくは精神的に)しんどいのか分かっていない可能性があるし、

例えば挨拶が出来ない子供を非難する大人は

その子供が対人恐怖症だったり、極度の吃音であったり、挨拶するタイミングが取れなかったりする動揺を分かっていない可能性があるし

最近聞いた話では、外でヘッドフォンをしている子供のヘッドフォンを無理やり取ってしまう大人がいたが、実はその子供は音に極度に敏感で外のような雑音だらけの場所ではヘッドフォンをしていないと精神的に不安定になってしまう、そういう子だったそうだ。

 

この発展した世の中で、様々な思想や宗教や生き方が絡み合ったこの世界で、

私たちは、

他者の痛みに気づくまではいかなくとも

何か理由があるのかもしれない、と思える程度の想像力は必要なのではないだろうか。

 

きっとこういうことを言う人もいるだろう

この社会のスタンダードに上手くピッチを合わせられない人は

そもそも出てくるな

 

当然そういった人たちにも社会に出る必要があり

夢があったり、生きていかなきゃいけなかったり、幸せになりたかったり

綺麗な景色が見たい。

それに

 

何より言いたいのは

 

じゃぁ人間は何のためにここまで進化してきたのかと。

 

共同体をつくり社会を作り国を作り

色んな物や制度を作って発展してきた。

そんな、強いものだけが生き残れば良い世の中なら

大きな大きな共同体を作り発展してこなくても良かったわけだ。

でも私たち人間は

一元的な、強いとか弱いとかの価値観以外にも

頭の良さや美しさや優しさなどの多元的な価値観を発見し

哲学や芸術や科学など多くの価値を創造してきた。

それっていうのはつまり

平たく言うと

 

それぞれ得意不得意あるけど補い合って生きていった方が

誰かを排除しながら戦い続けるよりも

ずっと生産的でハッピーだよね

って気づけたおかげ

 

だよね。

 

とあまりにもデカい話になってしまったけれど。

 

だったら、私たちがこの先ももっと発展していって、目指す社会っていうのは

みんなそれぞれが自分の弱い部分によって排除を受けることなく暮らしていける社会じゃないか。

 

これ以上もう発展する伸びしろは無いっていう考えもあるけど

 

私はまだまだ、どんな分野もそんな社会に向けて発展してもらわないと困るってそう思うわけだ。

 

 

 

また、今回の事でもう一つ思ったことがある。

それは、日本が形式的な形をあまりにも求めているという点だ。

 

体調悪い人に対して朝はシャキッとするべき

だったり

「調子悪い感じで来るな」と言ったりする

 

つまり

会社員はシャキッとしている形が正しく、それを求めるべきだという考え方が背景にある。

 

これはどうだろう?日本独特なのか世界的な感覚なのか分からないが、

日本で特に顕著なのではないかと思う。

 

そして、そういった、自分の本来の感覚を隠すという不自然な行為、これもこの国の鬱が大量発生する原因なのではないかと感じるわけだ。

 

私は違和感を禁じ得ない。

 

例えば、あるケーキ店に入ったら、店員さんみんながにこやかであれば、

私だって嬉しい。

 

要はそういうことだという事は分かる。

 

しかし、私が「みんながにこやかで嬉しい」理由は

ただ、みんなの「にこやかな顔」そのものが凄く好き

なわけではない。

 

「にこやか」というのは幸せや喜びの感情が表面化した現象であり、

その現象を見ると、間接的に

『みんなが幸せである』という情報を無意識に受け取るから、

嬉しい気分になれるのだ。

 

要は、私はみんなが楽しかったり幸せだったりするから、嬉しくなるのだ。

 

しかし、社会ではその表面化した現象だけを必死になって、かなりの負担を負いながら求める。

 

もしも、恋人が毎日「愛している」と言ってくれるが、本当はお金だけが目当てだったら、それは嘘であり、裏切りだと感じるのではないだろうか?

 

私は、そんな、理想的な状態を表面的にだけ取り繕われたモノには

その労力に見合った価値があるとは到底思えない。

 

本当に必要な努力は、感情に嘘をつかなくとも、理想的な状態になれるように工夫することではないだろうか。