優しくないことを生きる
ツイッターを見ていて、人と人とが蔑み合うのを見るとうんざりする。
差別をしたりする人がいなくなると良い、と思うし
勝手に相手の考えを想像して歪んだ正義を振りかざす人もいなくなれば良い、と思う。
それでも現実は
私を愛して助けてくれる母も差別的な事を言ったり、正確かどうか分からないマスコミによる有名人の情報を元に勝手に同情したり、勝手に蔑んだりする。
そういうところを見ると嫌だな、と思うし、
身内や私に対しても、時には、
まるで人と人とが損得のみの関係で成り立っているかのような事を言ったり
人にどう見られるかが何より大切であるかのような事を言ったりする。
それでも実際は母は良い人で、
沢山の人を助けて、慕われてきたし、
今、私を助けている。そっちが核心だ。
私だって人の事は言えなくて
人の発言にはすぐに疑問を感じたり嫌悪感を感じるけれど
自分が嫌な経験をしたら、身近な人には一緒に悪口を言ってほしいと思ったり、
他人の魅力を疎んだりして、否定的になったりする。
そして何より、自分は今自力で生きていないから、
何も言う権利は無いと感じてしまう。
でも他の人にはそう思わない。
いろんな理由で働けない人も、当たり前に自分の意見を言う権利がある。
それでも自分にはそう思えない。
優しい世界を望もうにも
現実は複雑に絡まっていて
一人で全部は解けない。
心の強い人はその糸を切ってしまうのかもしれないけれど
それも出来ない。
それでも世界の中で
少しずつ偶然と優しさが少しずつ糸を解き
柔らかくして
ほんの少しずつ優しい世界に近づいていくんだって夢に見ている。
でもそんな平和ボケな事考えていられるのは日本に住んでいるからで
ナショナルジオグラフィックを読めばいつでも
世界に生きる人の血の涙を目撃するんだよね。
つらい。
うつの私に出来るのは
世界にある攻撃性と痛みを見ないようにすること。